1955~1972年
昭和30年~昭和47年
陸上部門の強化と事業部制の導入
戦後、当社は造船部門を中心として再出発を果たしました。景気変動に左右されない基盤づくりのため、「陸舶50対50」という目標を掲げ、その実現を目指しました。1959年には電機部門を分離して川崎電機製造(株)を設立、原動機部門の増強、各種専門工場の建設などを実施しました。1961年には事業部制を導入し、造船・機械・産業機械・精機・鉄構の5事業部が発足し、鉄構部門への進出を本格化させました。1966年には産業・土木・運搬機械のメーカーである横山工業(株)を合併しました。
新設された明石工場
川崎重工業、川崎車輛、川崎航空機工業の合併
高度経済成長時代の1960年頃から、国際競争力の増強のため各業界の再編成、企業再編が進みました。
第6第砂野仁社長は、初代社長・松方幸次郎が理想とした「陸・海・空にわたる総合重工業」を再建したいという理念を引き継ぎ、川崎グループ団結の構想を検討し始めます。
川崎重工業の砂野仁、川崎車輛の上田将雄、川崎航空機工業の四本潔の3社長が合併の検討を進めた結果、1968年に合併覚書に調印し、1969年4月1日、川崎重工業が2社を吸収合併するというかたちで、3社の合併が実現しました。
川崎3社合併覚書に調印
総合重工業としてさらなる躍進
この頃、陸・海・空の各分野では新しい事業が展開されます。陸上部門では、大型産業機械・鉄構専門の播磨工場建設のほか、産業用ロボット分野へ進出し、国産初となる「川崎ユニメート2000型」を開発、1972年には汽車製造(株)と合併し、わが国最大の鉄道車両メーカーに躍進を遂げました。船舶部門では、1972年後半から超大型タンカーや超大型コンテナ運搬船を相次いで建造しました。また、わが国初の涙滴型潜水艦が進水しました。
航空機部門では、国産初の双発ジェット輸送機「C-1」や、三菱重工業(株)と共同で生産する航空自衛隊向けジェット戦闘機「F-4EJ」を受注しました。
川崎ユニメート