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試練~革新

1973~1996年

昭和48年~平成8年

  • 1973/ 昭和48年

    オイルショックと経営環境の悪化

    1973年の第1次オイルショック後、造船業界はきわめて深刻な事態を迎えました。当社ではタンカーの受注が激減し、既契約船にもキャンセルや船種変更、納期延長が続出しました。1975年度から収益改善対策を講じましたが、1978年度には戦後初の赤字を計上しました。二輪車事業は北米に工場を建設し、1975年から現地生産を開始しました。四輪車を含むわが国の自動車工業界として初のアメリカ工場でもありました。

    KMC リンカーン工場の生産ライン

    KMC リンカーン工場の生産ライン

  • 1977/ 昭和52年

    経営安定化・各分野で先進技術に挑戦

    1977年、梅田善司が第8代社長に就任し、事業部の縮小・再編・統合による経営合理化対策に着手しました。さらに、全社の収益改善、工場の集約・効率化、既存設備の有効活用などを行いました。

    経営環境の悪化のなか、当社は、石炭利用技術、ガスタービン発電機、原子力などエネルギー分野に力を注ぐとともに、各分野で先進技術に挑戦しました。例えば、わが国初のLNG運搬船の建造、多用途双発ヘリコプタ「BK117型」の開発・生産、世界初の垂直多関節の群制御型マルチロボットシステム「川崎ユニメート6060型」の開発などがあります。

    BK117型ヘリコプタ試作第3号機による初飛行(岐阜工場)

    BK117型ヘリコプタ試作第3号機による初飛行(岐阜工場)

  • 1981/ 昭和56年

    激動の世界経済

    当時、当社は新規開拓の一環として、海外向けの大型プラントを積極的に受注していました。しかし建設地での紛争等により大幅な工程遅延とコスト悪化に見舞われました。このような厳しい状況下の1981年に長谷川謙浩が第9代社長に就任します。さらに、アメリカの景気減速により二輪車部門の採算が悪化し、33年ぶりとなる無配となりました。

  • 1987/ 昭和62年

    危機を脱し安定経営基盤を確立

    造船不況と急激な円高が続く厳しい企業環境のなか、1987年に大庭浩が第10代社長に就任すると、組織・工場の再編、人員規模の適正化などを実行しました。

    組織再編では、船舶、車両、航空宇宙、機械、環境・エネルギープラント、産機・鉄構、CPの各事業本部を新設し、7事業本部制を確立しました。また、工場の移転・集約・閉鎖を実施して工場体制を見直しました。

  • 1996/ 平成8年

    創立100周年を迎える

    1996年10月15日、当社は創立100周年を迎えました。これを記念して、マーガレット・サッチャー前英国首相を迎えるなど各種の記念式典や行事を実施しました。

    100周年を迎えた年、当社は史上最高の業績(単体)を上げました。

    創立100周年記念 サッチャー前英国首相特別講演会

    創立100周年記念 サッチャー前英国首相特別講演会

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